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「ら抜き言葉」について…
「ら抜き言葉」と聞いてどうであろうか.やはり「間違った日本語の使い方」という印象を持つだろうか.
間違いなら本来は正されるべきであるのに,何故いつまでも正されないのだろうか…
日本語史について調べていると,その論理的なもの(?)が見つかったので述べることとする.
「見られる」というと,古文の授業に出てくる助動詞「る」「らる」と同じで,受身・尊敬・自発・可能の意味が思いつくだろうから,前後の文脈でその四つの意味のなかから判断しなければならない.
では「見れる」というとどうであろうか…?
「見れる」というと,可能の意味 ただひとつに限定される事が分かる.他の三つの意味で使われる機会は皆無かなと思う.
換言すれば,「ら抜き言葉」は,上記の四つのうちどの意味であるかの選択肢を「可能」の一択にしてしまうものだということだ.これは,ややこしかった日本語の整頓の結果であり,おかしい日本語だと否定的に捉えるものでも無いのではと思う.
「ら抜き言葉」に関連して,もう一つ述べたいと思う.
いくつかの「ら抜き言葉」をローマ字表記にしたときに気付くことがあるだろう.
mirareru→mireru
比較すると,前後の違いは,raの有無であるので,なるほど「ら」抜きだということが分かる.
もう一つ,「行かれる」→「行ける」をローマ字に表記してみる.
ikareru→ikeru
比較すると,前後の違いは,arの有無であることが分かる.
…?
mirareru→mireru
いや,「ら」抜き言葉ちゃうやん.しっかりしてくれ.
いくつか例を挙げる.
ikarenai→ikenai
taberareru→tabereru
畢竟我々が「ら抜き言葉」だと思っていたものは,どうやら「ar抜き言葉」だったらしい.アラー
日本語はおもしろい…
少し調べるだけでも,新たな気付きがたくさんある.生まれてからずっと使ってきた言語にもかかわらず,私はまだ日本語のほんの一部しか知らないのだ.
知り得る日本語の特徴は
・音韻 a,e,i,o,uをはっきり区別して考えている
・撥音便・促音便・ウ音便・イ音便を古典の授業で学んだ
・せんたくき→せんたっき というふうに発音しやすいように変えることができる
・敬語,片仮名・平仮名・漢字がある
・たいていの場合述語が最後に来る
・語順を変えられる
・話し言葉…相手に素早く情報を伝える リラックスする
・書き言葉…どの世代の人にも通じる 伝統的
・常に変化していて「生きている」言語→従来のルールで説明つかない 新鮮味を感じ言語体系を知る
・レトロニム
・道徳的なものに影響している「サピア・ウォーフの仮説」⇒(英:brother 日:弟or兄)兄弟の年の差を日本語では意識させている⇒日本語の使用者に対して,兄をたて,弟が遠慮するという行動様式をもたらす
・二〇一一年に手話が法律上言語とされた.手話の時代も来るかも知れない,来なくていいけど
・言葉が出来る前は,顔を合わせてのコミュニケーション…ゴリラもそんな感じ
今の私は発展途上で当然未熟である.しかし,今ここで大雑把にまとめたことが,後の自分の学問に役立つことを願うばかりである.役立ってますか.