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ごめん。としか言いようがないけれど。
学んだことは全く無駄ではなかったと胸を張って言えるし、ここに居たからこそできた友人はとても大切だ。
でも、だからこそ、自分の身丈に合わない大学を選んでしまったことに、
今はちょっとだけ後悔してしまったのだ。
この大学を卒業し、学位を得られる自信がない。私にとって、自力でここを出ることは難しい。すり鉢状のような感じ。
なんでも他者に頼ってきた私には。
思えば、私の願いは必ずしも大学に行かなければ叶わないものではなかった。
本物の心からの願いだったから、大学に行けなくても叶うように、いくらでも予防線は用意しておいた。
それでもこの大学を選んで入ってきたのは、ある人だったり別のある人だったりのせいでもあるのだけれど。
いったい誰のためにここにいるんだろう。勉強するのは自分のためだけれど、それは分かっているけれど、
自分のためってこんなに苦しかったっけ。
悲しい、残念だ、そう言われてしまうような存在に、まさか私がなろうとしているだなんて、まったく考えていなかった。
どこまでも中途半端だなあと思う。私は、一度決めたことは大抵あとになって別の選択肢に変えることがよくある。
まさか大学においても失敗するだなんて、まったく考えていなかった。
こんなことになって、他の人になんと言おう、というよりかは、どこか自分に対して こんな怠惰な気持ちを正当化しうる言い訳を必死に探しているようだった。
そんな自分が嫌になる余裕なんてないくらいに。
もう一生、人のことなんて馬鹿にできないな。
周囲の友人がなんの違和感もなくここで生活できるのは、やはり高校時代までのしっかりとした下積みがあったのだろうと思う。ある意味私は、そんな優秀な他者に激しく嫉妬していた。やきもちをやいてしまった。
努力なしでこんな場所にいられるはずがないのに、どうして最後の最後まで楽な道を選んでしまうのだろうか。
未来に向かってスタートするはずが、終わりをカウントダウンするようになったのはいつごろからだろうか。
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戦い 闘い 違い 部首
あなたとおまえそなたとおめえ
おのれとおれ
じゃあぼくは?
うゆは?ルビィちゃんなの?
日月火水木金土の順番
しょっちゅうってなに?
鯉のぼりのうたを解説→まごい ひごい お母さんは?
任意の文を方言別に色分け ちゃった も方言だし…
なんで濁音なんだ頭おかしいんじゃねえの
契沖と本居宣長
忌み嫌うものや言語
スルメじゃなくあたりめ
梨は切らない(中国語)
置き時計は送らない(中国語)
表情を模倣されてるの、「自分が見られてる」って感じがして恥ずかしいね…iPhoneやsurfaceのFace IDも同じ感じがして怖い
なあ大森靖子、「わたしみ」ってなんだ。
やばい、マジ なんで淘汰された?
わをん わいうえを←は?
いじめられる方が悪い ってあると思う?
リンクにおける ウィキのツイッター とツイッターのウィキでは違う
人工言語界隈への誘い
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「ら抜き言葉」について…
「ら抜き言葉」と聞いてどうであろうか.やはり「間違った日本語の使い方」という印象を持つだろうか.
間違いなら本来は正されるべきであるのに,何故いつまでも正されないのだろうか…
日本語史について調べていると,その論理的なもの(?)が見つかったので述べることとする.
「見られる」というと,古文の授業に出てくる助動詞「る」「らる」と同じで,受身・尊敬・自発・可能の意味が思いつくだろうから,前後の文脈でその四つの意味のなかから判断しなければならない.
では「見れる」というとどうであろうか…?
「見れる」というと,可能の意味 ただひとつに限定される事が分かる.他の三つの意味で使われる機会は皆無かなと思う.
換言すれば,「ら抜き言葉」は,上記の四つのうちどの意味であるかの選択肢を「可能」の一択にしてしまうものだということだ.これは,ややこしかった日本語の整頓の結果であり,おかしい日本語だと否定的に捉えるものでも無いのではと思う.
「ら抜き言葉」に関連して,もう一つ述べたいと思う.
いくつかの「ら抜き言葉」をローマ字表記にしたときに気付くことがあるだろう.
mirareru→mireru
比較すると,前後の違いは,raの有無であるので,なるほど「ら」抜きだということが分かる.
もう一つ,「行かれる」→「行ける」をローマ字に表記してみる.
ikareru→ikeru
比較すると,前後の違いは,arの有無であることが分かる.
…?
mirareru→mireru
いや,「ら」抜き言葉ちゃうやん.しっかりしてくれ.
いくつか例を挙げる.
ikarenai→ikenai
taberareru→tabereru
畢竟我々が「ら抜き言葉」だと思っていたものは,どうやら「ar抜き言葉」だったらしい.アラー
日本語はおもしろい…
少し調べるだけでも,新たな気付きがたくさんある.生まれてからずっと使ってきた言語にもかかわらず,私はまだ日本語のほんの一部しか知らないのだ.
知り得る日本語の特徴は
・音韻 a,e,i,o,uをはっきり区別して考えている
・撥音便・促音便・ウ音便・イ音便を古典の授業で学んだ
・せんたくき→せんたっき というふうに発音しやすいように変えることができる
・敬語,片仮名・平仮名・漢字がある
・たいていの場合述語が最後に来る
・語順を変えられる
・話し言葉…相手に素早く情報を伝える リラックスする
・書き言葉…どの世代の人にも通じる 伝統的
・常に変化していて「生きている」言語→従来のルールで説明つかない 新鮮味を感じ言語体系を知る
・レトロニム
・道徳的なものに影響している「サピア・ウォーフの仮説」⇒(英:brother 日:弟or兄)兄弟の年の差を日本語では意識させている⇒日本語の使用者に対して,兄をたて,弟が遠慮するという行動様式をもたらす
・二〇一一年に手話が法律上言語とされた.手話の時代も来るかも知れない,来なくていいけど
・言葉が出来る前は,顔を合わせてのコミュニケーション…ゴリラもそんな感じ
今の私は発展途上で当然未熟である.しかし,今ここで大雑把にまとめたことが,後の自分の学問に役立つことを願うばかりである.役立ってますか.
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これから人文学の分野を学ぶひとりの「人文学徒」として,これから付き合ってゆかねばならない学問について,考えていたことをまとめる.
言語学について
我々が日常で使う言葉 非常に変遷が目まぐるしいものだというのはインターネットをよく見ているとまあそれはそれはよく感じられ,時代に置いてゆかれないように必死の思いで毎日を生きている次第なのだけれども.
インターネット上の言葉の変遷について…
自分自身インターネット歴は十年弱ゆえ他の方と比べると微妙であるが,少しだけ例を思いついたのであげてみることとする.
① ○○み ex.)分かりみ,嬉しみ
②笑ったorワロタ→(笑)→笑or藁→w→草
③「うろ覚え」を「うる覚え」と誤用する
もう少し考えればもっとありそうだがそれをしているとキリが無いのでやめる.
これらについて主観を混ぜつつ調べていたことを書き殴ろうと思う.
- ①について,近頃よく見る言葉である.既に若干の廃れを感じるか?
接尾辞「-み」を付けることによる形容詞等の名詞化
動詞+み…というスペシフィックな接尾辞を付けて意味が通じる,日本語はおもしろい造語を作ることができると思った.
⇒主観的,独語的(ひとりごと,ぼやきのようなもの)な雰囲気が混ざる.
特に,Twitterでよくみかける
⇒140文字の制限のなかで,いかに多くの内容を含蓄させた文章を作りあげるかを問われているため.
「~い」で代用が出来る 叙述的用法
⇒ネガティブな言葉(つらい,しんどい等)をそのまま書くのが憚られるとき,「つらみ」「しんどみ」というふうに軽く処理することでネタのような感じで書き込むことができる.
今に始まった話でなく,昔から使われていたということはもちろん承知している.
- ②について,インターネットにみられる言葉の変遷の例として,非常に時代の流れが良く分かるものであると考える.
できるだけ短い文字数で,楽に文字が打てるように変遷しており,インターネットの普及による影響がよくあらわれている.
- ③について
この誤用は,キーボード(フリック入力含め)による打ち間違いがそのまま広まってしまったことが原因ではないか.
フリック入力における打ち間違いはよくあることなので説明を省略するとして,ローマ字入力のキーボードにおいて,uとoの位置が近く,打ち間違えることもあるだろうと考える(多少無理のある話だが).
よって,ある程度の世代で「うろ覚え」とつかえる人間と「うる覚え」と使ってしまう人間とに分かれるのではないかと思う.
next⇒「ら抜き言葉」について
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- アインは無と訳され、0で表される。
- アイン・ソフは無限と訳され、00で表される。
- アイン・ソフ・オウルは無限光と訳され、000で表される。アイン・ソフ・アウルと表記されることもある。
- アインからアイン・ソフが生じ、アイン・ソフからアイン・ソフ・オウルが生じた。
『セフィロトの樹』における神の領域を表す